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2005年度テーマ ウェスタンインパクトはいかに語られたか:東アジアにおける民衆の世界観(5)

ウェスタンインパクトはいかに語られたか アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げている。空間・時間・人間に関わる意識総体を<世界観>として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。 このテーマのもと、2001年度は民衆の<世界観>の一側面として「君主観」の問題を取り上げ、続いて2002?2004年度は、「他者をめぐる空間認識」の問題を取り上げた。民衆は自らの所属している空間をどのように認識しているのか、という問題意識のもと、2002年度は大きく視野を広げ自己と他者との関係の中における空間認識を検討した。さらに2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することが出来た。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。2004年度においては、移動の結果として起こる接触という場面から、どのような世界観が形成され、ないしは変容をとげたのかという問題をとりあげ、直接的には国家を意識していない民衆独自の空間認識の検討を試みた。 しかし、議論においては、世界観が民衆の行為を拘束する既存の認識枠組みとして第一義的に意識され、民衆それぞれの行為によってそれが創出ないし変容し、あらたな実践の前提となっていくということが看過されがちであった。さらに、議論を続けていくうちに、世界観なかんずく空間認識について、それぞれの報告が興味深い指摘をしているものの、それらが有機的に関連しあって、「アジア」全体を問題にした提起が十分なされていないという反省が生じた。 そこで、本年度は、世界観を創出する行為としての<語り>に注目して、民衆の世界観を考えていきたい。今までの歴史学は、いかに正確に情報が伝達されたのかということに重きを置いてきた。一方で、<語る>という行為に着目した研究も表れてきている。このようだ動向をふまえて、アジア民衆史研究会としては、いままで十分方法的に把握されてこなかった流言飛語なども意識的にとりあげ、必ずしも正確ではなく整理もされていない民衆のきれぎれの<語り>を検討することで、民衆がどのように主体的に世界観を創出